翻訳が進化しても英語を勉強する大きな意味

こんにちは、らびっとブログです。

2013年のことですが、こんな記事が出ていました。

 

https://gigazine.net/news/20131120-word-lens-for-glass/

 

Google glassは諸々の事情により開発中止になってしまいましたが、

記事を見た当時は、ものすごいものが出てきた…

と思ったことをよく覚えています。

 

今ではスマートフォン向け翻訳アプリなども数多くあり、電子辞書ですら不要になってしまった感がありますが、まだ日常的会話にスムーズに使うには少し面倒くさいところがありますよね。

 

でも、自分が見たものがリアルタイムに翻訳され、音声も自動で翻訳される。

こんな未来(今となっては過去ですが)が数年で来るんだ。。。

そう思っていました。

 

もはや英語を勉強する必要はなくなった

 

そんな声が世間から聞こえてくるようです。

 

そこで今回は、

“英語の翻訳が進化した現代で、あえて自分で語学を学ぶ必要って何?”

というテーマについて話をします。

 

英語は道具理論

英語を使う場面に出くわし、数人が集まると大抵出て来るのがこの理屈です。

英語はそんなにできたわけではないけど、仕事はなんとなく英語を使ってこなしてきた社会人に多い発言ですね。

 

“英語は道具。使う人の能力が大事”

 

 

全くもってその通りです。

英語は道具で、英語が話せるだけでは大して役には立たないです。

 

しかし、ここで大事なのは英語を話せるようになったその過程です。

武道やスポーツなどではよく言われますが、ただ上手ければ良いわけで無く、ただ勝てば良いわけでもないです。

そして、一流と言われる人はそれらを通じて己を磨いてきました。

 

英語も同じです。

 

英語を話せるようになった人は、ただ英語が話せるだけでは無く、その過程で”英語的な文化”も取り込んでいることが多いです。

 

で、それって結局何なのよ?

この回答は非常に難しいですが、例えば、”考え方、視点”という言葉にまとめることができるかもしれません。

 

英語的な視点って?

井の中の蛙大会を知らず。

こんな蛙に海を説明するのはとても難しいですね。

英語についても同じです。

 

でも、例えば”NHKしか映らないテレビ”ってどうでしょうか。

 

私はそれでもいいですよ。

そんな声も聞こえそうですが、そういうことではないんです!

確かに、それでも良いんです。全然問題ないです。

でも、できれば民放も映れば良いし、BSとかスカパーとか、Huluなんかも映った方が良いですよね?

我が家はHuluとAmazon Primeが映りますが、これも契約していない人に良さを伝えるのは意外と難しかったりします。

何故なら、知らない人にとってはそれが映る世界というのがしっくりと、実感がわかないからです。

 

じゃあ、どうしたら良いのか。

 

お試し無料期間で体験してもらい、知ってもらうのです。

 

そこで英語ができるとすごいんです。

日本の民放だけではなく、アメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどの英語ネイティブな国がいきなり射程圏内です。

 

テレビのチャンネルが一気に100になるみたいなもんです。

 

もうこれがメチャクチャ面白い!

 

海外のドラマも、ドキュメンタリーも、日本では公開されていない映画も、なんでもかんでも当たり前に楽しめます。

 

そうすると、”あぁ、日本のテレビって…”と逆に気がつくことも増えます。

 

私たちも世界のテレビ番組特集みたいなものを見ると、

 

やたら効果音使ってるな!

 

とか

 

やたら笑い声いれるな。

 

とか

 

古臭いな。。。

 

とか

 

その国の傾向みたいなことに気がつくことがあると思います。

それって実は、全て自分との比較です。

その比較基準が日本だけでは無く、世界基準になる。

これがメチャクチャ面白いです。

 

私の友達の日本好き外国人に言わせると、日本のテレビだけはつまらないと。

 

”大体ご飯を食べてるよね。”

”ニュースなのになんで効果音とか入れて物語にしちゃうの?”

”ひな壇芸人ってあんなにいらなくない?”

”みんな同時に立ち上がってなんか喋るのが日本人的だよね。空気合わせる感じが”

 

ぐうの音もでません。

くどいですが、それはそれで良いんです。

 

だけど、それ以外の世界がたくさんあるんです。

英語があれば、その世界の扉を開ける鍵を手にすることができます。

Nintendo Swithも面白いけど、PS4やPCゲームも楽しいよ!

その切符が英語です。

 

でも、翻訳があればそれでよくない?

確かに必要最低限という意味ではGoogleの翻訳で十分です。

でも、やっぱりニュアンスってまだ伝わらないんです。

 

皆さんは友達と別れる時になんて言いますか?

 

“バイバイー”

”またねー”

”さようなら”

”気をつけてね”

 

これを全て”Good bye”と訳されたら”なんか違うな”と思わないでしょうか。

 

確かに意味、意図は同じです。

だけど、そうじゃない。

そのそうじゃない部分を伝えるには自分の言葉として喋る必要があるんです。

英語の意味がわかれば十分、という点ではもはや勉強はいらないかもしれません。

だけど、そこには確かにそれ以上の楽しさがあります。

 

服なんて布でも巻いとけばいいじゃん?

 

そんな世界がきた時には英語を覚える必要もなくなるかもしれませんね。

長くなりましたので、続きはまた明日!

 

 

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