若者のテレビ離れが叫ばれて久しいですが、皆さんはなぜテレビ離れをしたのでしょうか。
私は今でもテレビを見ますが、テレビの何が辛いってウルサイことなんですよね。
- 大げさな効果音や過剰なSEでの演出
- これでもかと入る字幕、テロップ
目と耳が辛いのです。。。
お父さんがNHKを好きだった理由をわかる年になってしまったのかもしれませんが、なぜ日本のテレビはうるさくなったのか。
それはテレビがコギャル化したのではないかと思うのです。
ここで、少々長いですが楠木先生の言葉を引用させてもらいます。
「コギャルファッションが流行していた時代に、仙台駅前でコギャルファッションの女の子三人が盛んにしゃべっているところに遭遇しました。コギャルファッションは東京の渋谷で生まれたものですが、三人とも渋谷のコギャルに比べてファッションがかなり過激でした。そこで『あなたたちのファッションは、東京のコギャルよりもずっと尖っていますね』と話しかけたら、『コギャルの専門誌も見てメイクや髪型もチェックしているけど、絶対にそんなことはない』『渋谷のコギャルを忠実にまねしているから同じはず』と否定されました。帰京後、渋谷のカリスマコギャルにこの話をしたら『ファッションの世界ではありがちな話だ』と教えてくれました」
興味深い例です。これをテレビに例えるとどうなるでしょうか。
例えば、これは安倍首相が辞任を表明したときの米・CNNのニュースです。
どうでしょうか。
英語の内容理解は別として、日本のニュースより目と耳にスッキリしていると感じないでしょうか。
日本のテレビに特徴的な右上の文字も無いですね。
ええ、右上の文字とは皆さんも見慣れたこういうやつです。
文字と色でゴチャゴチャです。
最新!気になる動き!などを強調して、煽り以外の意味があるんですかね?
画像だと伝わりませんが、アメリカのニュースにはBGMもありません。アナウンサーは結構感情が入った喋り方をしますが、基本的にはニュースを伝えることにフォーカスしています。
では、なぜ日本のテレビは目と耳に情報過剰になってしまったのか。
これがまさにテレビのコギャル化だと思います。
よりわかりやすく。より面白く。より刺激的に。
これらの要素を追い求めるうちに、文字が増え、音が増え、色が増えたのです。人は最適なバランスを簡単に見失ってしまいます。昨日より一歩の改善を積み重ねた結果、数年後に大きな差が出るように、テレビの構成も気が付かないうちにドンドン進歩?してしまっているのです。
どうしてテレビは進歩を止められないのでしょうか。
それは、やったほうが良いのか?やらなくても良いのか?というシンプルな、そして間違った質問の立て方にあると思います。
やらなくても良い。
むしろ、やらないほうが良い。というのは極めて答えにくい解答です。
字幕で書いたほうがわかりやすいですか?むしろ、何も書かないほうが良いですか?
音があったほうが良いですか?むしろ、何も音が無いほうが良いですか?
こう聞かれれば“あったほうが良い”と答えるほうが、より無難な解答だと感じると思います。
こうした流れに歯止めをかけられるのは視聴者です。
我々はテレビの作り手にバカにされているのです。
“庶民にはこれくらいがわかりやすいし、これくらいを喜ぶだろう”そう見下されているのです。
幸い、現代ではSNSで簡単に声を上げることが出来ます。ぜひ皆さんも声を上げていきましょう。
まとまりが無い文章になってしまいましたが、今日はこのへんで。