東証一部の企業を退職した、普通のサラリーマンが海外移住をした理由

この仕事、いつまで続けるのかな。

 

今回は、新卒で東証一部上場メーカーに入社し、海外営業として働いていた私が移住を決意した理由をお話しします。

突然のリーマンショック

リーマンショックが起きた2008年、ちょうど私は留学をしていました。

これは大事件が起きたぞ!

という認識はありながらも、

 

結局いつも騒いでいる株安や為替の急変の延長だろう、くらいの認識でした。

 

しかしお気楽な私の考えを大きく変えた事件がすぐに起こりました。

 

ボストンキャリアフォーラム 参加企業激減事件。

 

 

ボストンキャリアフォーラムとは、留学生の一大イベント。

ボストンで行われる留学生向けの就職説明会だよ。

名だたる大企業から、なんとキャリアフォーラム開催期間中に一気に内定までもらえてしまうすごいイベントです。

 

ボストンキャリアフォーラムは海外にいる日本人留学生と企業のマッチングを目的に始まり、2004年に107社だった参加企業は、2017年には204社まで増加しています。

私が留学していた2008年当時も、参加人数が右肩上がりのイケイケの展示会でした。

留学生はここに行けば優良企業とマッチングできると評判で、望みのある学生は企業の重役とディナーをしたり、場合によっては夜に部屋に呼ばれる…なんて噂もありました。

それがリーマンショックの起きた2008年には参加取りやめ企業が続出。

すでに参加を決めていた企業も惰性で参加した可能性が高いです。

実際、影響が一番出たリーマンショックの翌年には参加社数は過去最低ラインの102社まで急減しています。

*リーマンショック:9月、ボストンキャリアフォーラム:10月

 

リーマンショックで参加企業のモチベーションが急減するなか、

生まれが海外で〜、

大学の四年間が海外で〜、

というようなハイスペ学生達を前に、たった一年間しか留学期間がない私にとって、ボストンキャリアフォーラムは美味しいクラムチャウダーを飲んだことしか記憶に残らない悲しいイベントになりました。

 

そして、気がつきました。

 

“あれ、もしかして帰国後の就職もやばいかな?”

新卒就職に失敗!留年を決める!

リーマンショックの影響が日に日に濃くなる2009年。

私は6月に日本に帰国しました。

お気付きの方もいるかと思いますが、2009年当時、就職活動といえば大学3年生の冬から始まり、大学4年生の春には内定が出ているということが一般的でした。

 

つまり、6月頃には就職活動は終了しているんですね。

 

エントリーシートを受け付けてくれる企業もありますが、皆が憧れるような企業は終了している状況でした。

当時の私は、キラキラした社会人に憧れる、社会の右も左もわからない大学生でした。

そんな私は就職の軸を3つに絞りました。

選びきれないほどの数の企業があるのでやむなしでした…

  • 東証一部上場
  • メーカー or 商社
  • 英語が使える

今振り返ってみると、もっと他にあっただろ!

と思うこともありますが、星の数ほどある企業から選ぶために自分なりの最低ラインにしていました。

完全に学生がイメージで就職している感じですよね。

 

…結果、応募できるところ無し!!

 

私の就職活動は一瞬で終わりました。

6月頃から始まる“夏採用”なる制度もあり、私のように海外から帰国した学生が挑戦することが多いのですが、実施企業数と採用枠も少ない上、ガチ海外勢に蹴散らされてしまいました。

 

こうして、無い内定の大学4年生が出来上がりました。

 

そして悩んだ結果、卒業をせずに留年を決意。

新卒カードを温存して来年は本気出す!ってやつですね。

某隠れ優良企業から内定

翌年、年明けと同時に就職活動を開始しました。

すでに留年している手前、受けられる企業はとにかく受けるというスタイルでしたね。

そんな私の就活スタイルでしたが、無事にとある上場企業から内定をいただくことができました。

当時の2ちゃんねるには、優良企業ランキングや、ホワイト企業ランキングといったものがあり、私の会社も載っていました。

日本で一番!とか、誰もが名前を知っている!とか、そういった会社ではありませんでした。

しかし、2ちゃんねるに記載されている年収ランキングや、ホワイト企業ランキングをこっそりながめ、

 

しめしめ、未来は明るいぞ。

 

と期待に胸躍らせながら入社の日を待っていました。

春からは上場メーカーで海外営業。

学生だったの私のちっぽけな自尊心はすっかり満たされていました。

まさかの三年退職

自分が経験するとは思ってもいなかった、新入社員は3年で3割辞める説。

これまでレールの上にのった人生を歩んできました。

定年まで勤め上げるぞ!と胸を踊らせ入社したあの日。

業務に不満もなく、人間関係にも恵まれていました。

 

ただ、何か虚しい。

 

この会社に一生を捧げることが私の人生なのだろうか。

日本のサラリーマン生活に疑問をもってもいました。

細かいことは色々とありますが、年功序列や飲み会の気遣いなど、

“いやいや、いい大人同士でそんなことする必要ある?”

“もっと対等な関係が欲しい”

という思いがあり、どうも馴染めませんでした。

 

へこへこぺこりーー!!!!

 

というスタイルよりは、堂々と握手して対等にビジネスをしたい、とでも言うような違和感でしょうか。

そして気がつくと、昼休みに海外移住を調べている生活でした。

ほら、外国の従業員ってフレンドリーで雑だったりするじゃないですか?

あれが好きなんですよね。

 

幸いなことに私はまだ20代だったので、仕事をするためのビザはワーキングホリデービザが使えます。

英語も日常生活には困らないほどできます。

 

やるなら今かな。

ダメでもなんとかなるだろう。

というか、逆に今しかない。

この数年ならば仮にダメでもなんとかなる!

 

そう考えが固まると、毎日お昼休みには”海外 移住”をインターネットで検索する日々でした。

そして、約3年で苦労して入社した上場企業を退職することになりました。

まとめ:結局なんで移住を決意したの?

振り返ってみると意外とあっさり、そしてゆっくり決めていきました。

  • 周囲に会社を辞めて海外留学をした人がいた
  • 東日本大震災の影響で日本脱出の機運が一部の人にあった
  • 海外のライフスタイル、考え方が自分に合うと感じていた
  • 失敗してもなんとかなるだろうという漠然とした思いがあった
  • 英語でなんとか生活はできるだろうという自信があった

自分一人で野望を持って決断したというより、周囲の影響が非常に大きかったですね。

他の移住者の方は夢を持っている人や、放射能にまみれた日本には住めない、というようなタイプの人が多かったです。

 

このブログでは、中途半端に高い学歴・職歴を持ってしまい、今更レールを外れて夢に向かって挑戦できなくなってしまったよ…という20代、30代の方に意外となんとかなるんだぞ、ということや、移住の現実も伝えていければと思います。

*2018年現在、再び日本の上場企業でサラリーマンとして働いています。

 

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