皇室のジレンマ / 自由・平等・個人尊重を超えるnext societyは何か

“眞子さまと、小室圭さんの結婚ってかわいそうだよね”

何気無い会話だったのですが、ふと感じたことがあり現代社会の自由について語りたいと思います。

発展が完了した社会 (Developed country)

現代日本に生きる我々は、今の社会は進化がほぼ完了していると思ってはいないでしょうか。

自由があり、平等があり、個人も尊重される素晴らしい社会。もちろん現代にも問題がたくさん残っていることはわかっています。

  • 黒人差別(black lives matters)
  • LGBT
  • 発展途上にある多くの技術

少し考えただけでも、現代社会がまだ人類の理想社会で無いことは実感出来ると思います。しかし、少なくとも現代ではこうした”悪”を無くそうと努力し、考え方の根本はすでに完成していると思っていないでしょうか?

私の疑問はここにあります。

自由で、平等で、個人が尊重される社会は本当に素晴らしいのだろうか。

少なくとも今の私は素晴らしいと考えていますし、不自由で、不平等で、集団主義の社会に住みたいとは思いません。それでも完全自由、完全平等、完全個人の社会が理想社会だとは思いません。

上級国民としての皇族

日本の場合は、建前としては身分制度が残っていないため、日本国民の身分は平等です。実際には貧富の差や、生まれによって”実質的な身分”のようなものはありますが、個人の努力で覆す可能性も残っているという意味で平等です。歴史の授業で習った、士農工商の身分制度は既に無く、能力があれば好きな職業につく可能性も開かれています。

しかし、皇室だけは特別視されています。これは明らかな身分です。なぜなら、皇室になりたいと努力してもなることは出来ず、生まれ、血筋、婚姻関係によってのみ維持されるからです。

そんな超上級国民である皇室が婚約のスキャンダルで揺れています。

  • 眞子さまと小室圭さんの結婚が認められない(日本)
  • ヘンリー王子とメーガン妃の結婚で揉める(イギリス)

皆さんも一国民として意見はあると思います。

  • 自由恋愛を尊重するべきだ
  • あんな男、あんな女はとんでもない
  • 皇族は個人ではなく、国家として考えるべきだ

私はこれは社会の歪(ひずみ)だと思います。社会が次のステップに移行している時に起こる現象だと思います。

これからの社会がどう進んでいくかはわかりませんが、個人主義、自由主義の問題点を強調している現象ではないでしょうか。

次の社会はどうなるか

ケース1: 超個人主義

個人がより尊重されるようになれば、結婚問題は完全に個人が決める、個人の問題になるはずです。皇族であっても一人の個人として尊重され、個人の意思を押さえつけてまで国家や家の体裁を気にすることはないはずです。本人が周りを気にすることはあるかもしれませんが、少なくとも外野が文句を言うのはとんでもない、という空気になるのではないでしょうか。

こうした超個人社会になっていれば、小室さん、メーガンさんも結婚に対して文句を言われなかったはずです。失敗をすることもあるかもしれませんが、そうしたことも含めて個人の決断として尊重する。個人の邪魔をしないことが社会の共通認識になれば、こうした現象は十分にありえると思います。

ケース2: 修正個人主義

適切な言葉を思いつかないため修正個人主義という言葉を当てましたが、ある意味で個人を制限しても集団の利益を優先する考え方という意味です。(個人が100%好きなことをすることは絶対にありませんが)

この場合、皇室の結婚に本人の意思が関与する割合は低くなります。平民の結婚は自由にしてよいが、皇室ベレルの貴族になれば話は別、ということです。こうした考えの社会では、建前は自由であっても皇室メンバーが心からの自由を目指すことは無いと想定します。

本音と建前の悲劇

皇室の内部事情はわからないのであくまでも想像ですが、現代に生きる皇族は難しい立場にいるのではないかと思います。

人の上に生きる貴族として振る舞うことも出来ず、かといって平民として振る舞うことも出来ない。このジレンマが生んだのが日・英の2つの結婚問題だったと思います。

眞子さまも、ヘンリー王子も自由に、平等に、皇族というよりは一個人として尊重され育てられてきたのではないでしょうか。しかし、もしかしてこれは悲劇だったのかもしれません。眞子さまも、ヘンリー王子も皇族の本音と建前に苦しめられているのではないでしょうか。

皇族の本音と建前
  • 本音・・・皇族は皇族として生きるべき。普通の人間とは違う立場
  • 建前・・・皇族であっても一個人。新しい社会では皇族も自由に生きることができる

より良い社会が個人を苦しめる時代に

皇室は一つの例ですが、もし本当に個人を尊重する時代であれば、皇室であっても自由に結婚が出来るはずです。個人の幸福を最大限に追求することが集団の利益になるわけではないことは有名ですが、個人と集団、これらの幸福の総量を最大化する仕組みが社会です。

では、社会が個人の尊重を促したらどうなるでしょうか。

まさに本音と建前の社会が加速していくのではないでしょうか。正論には文句をつけられない。しかし、行動は必ずしも正論にならない。だから個人が自由意志として正しい行動を選び取るように強制する社会。

やりたいならやってもいいんですよ?え?本当にやるの?いいえ、別にダメではないし、禁止もされていません。でも本当にそれがベストですか?もう一度よく考えてみましょう(100回目)

というような社会に成るのではないでしょうか。

こうした社会ではまさに空気を読む力が重視され、一見自由なようで何も自由が無い社会になると思います。ただ、これは未来の話というより現代の話ですね。

日本にこうした空気があることは言わずもがなですが、自由と平等のアメリカでもこうしたことはあります。(黒人を批判しにくい etc)

社会の悪を潰して行くことは必要でしょう。しかし、建前だけを打ち立て続けると本音がおいていかれます。こうした臭いものに蓋をした社会は理想の社会になるのでしょうか。建前としての自由ではなく、本当の自由。皆が精神の自由を得るのはどういった社会になるのでしょうか。

それがマトリックスで無いことを願いますが、マトリックスが不幸なのかも私にはわかりません。行き過ぎた能力主義、平等主義は弱者切り捨てにもつながる恐れがあり、理想の社会の姿はこれからも追求されるでしょう。

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