【レビュー】ケーキの切れない非行少年?そんな馬鹿な話があるらしい

レビューを書く前に

面白そうな本を探していた時、数多くの表紙の中でとある絵が目にとまった。

子供の落書き?

綺麗な表紙、キャッチーなビジネスフレーズが並ぶおすすめ本コーナーの中で、その本は異彩を放っていた。

ケーキの切れない非行少年たち。

実に刺激的なタイトルと絵だ。

正直なところ、この本のレビューについてはどう書くべきか悩んだ。

なぜならそれは私の醜い部分をさらけ出すことにつながるからだ。

他者に対しての冷たさや厳しさであり、暴力的な正しさの押し付けにもなると思う。

それでも書いてみようと思う。

まだ若輩で幼稚な自分の思想の記録であり、未来にむけた自己認識である。

 

ときに、私は金持ちでなければ、特別頭が良いわけでもない。

 

しかし”世間の平均”と言われる基準に比べれば良い学歴で、良い収入を得ている。

そんな私のひそかな悩みは他者への冷たさである。この考え方を変えたいと思っている。

例えば、私が教師で担当クラスに落ちこぼれの子供がいたとしよう。

私はその子供に寄り添ってあげられるだろうか。

例えば、私が医師で入退院を繰り返す末期がんの高齢者を担当していたとしよう。

私はその患者に寄り添ってあげられるだろうか。

 

否。

 

私は子供の学力を伸ばすことは好きだし、成長を助けることも好きだ。

しかし、それは自ら助かる意思がある子供の場合だ。

指導により子供が成長をし、想像を超えるほどの伸びを見せることは嬉しくもあり、時に脅威でもある。

 

“私なんか生きていても意味が無い!死んでしまえばいいんだ!先生殺してください!”

 

そう患者に毒づかれたら、

“はい、わかりました。”

とあっさり承知してしまうかもしれない。
(現実にその時どう感じるかは不明だが)

もちろん、そこに何かプラスの動機づけがあって

  • 成績が上がればボーナスが出る
  • 〇年延命すれば評価が上がる

といった場合は別だ。ただし、それは優しさではなく既に仕事だ。

私の精神を短く表すならば、”自由と責任”となると思う。

自分がどう変わるのかも自分次第。

何をやるのも、何を言うのも基本的には自由だが、その責任は自分で引き受けないといけない。

非行少年は好きなことをすればいいし、社会の役目は非行少年が”それは損だからやめよう”と判断する適切な動機づけを設定することだと考えている。

いや、考えていた。

この本は、私のような人間が”彼ら”をどう理解するのかに大いに役立つ。

事件の被害者を作り、社会に不安を与える”彼ら”は悪なのだろうか。

 

人は一人では生きていけない。

 

私だって病気になるかもしれないし(間違いなくなる)、障害を負うかもしれない。

精神を病むかもしれないし、借金をするかもしれない。いずれは老いて自分の世話すらできなくなるだろう。

社会にとって常に”トータルでプラス”の存在であり続け、必要とされ続けるのは非常につらい道だろう。

今の状況だって自分の運と努力の両方の賜物だ。

私だって温かく思いやりのあふれた社会に住みたい。

お互いに優しい言葉をかけ、優しい言葉をかけられたい。

みんながニッコリ笑える社会で過ごしたい。

 

今回は、私のように考え・悩む人の参考になればと思い筆を取る。

社会とは助け合いである。

この言葉を心から発することができる日が来ることを願う。

こんな人に読んで欲しい

  • 世の中には馬鹿が多くて困ると思っている
  • 非行少年は厳しく取り締まり、厳罰を与えればよいと思っている
  • 非行少年が犯罪を犯す理由を知りたい
  • 非行少年を反省させる方法を知りたい
  • 非行少年を更生させる方法を知りたい

なぜ非行少年はケーキを切れないのか

この本の象徴的な指摘である、非行少年がケーキを切れない答えがこれだ。

“え?そこから?”

そう、我々が普通だと思うことが彼らにとっては普通ではないのだ。

例えば、ある図を自分の見たとおりに書き写すことが出来ない。
☆図を挿入

絵心の無い私でも、もう少し上手に書き写すことができる。

絵がうまい人からしたら理解が出来ないと思うが、私は絵を上手に描けない。
もちろん絵の技術を学べばある程度までは到達ができるだろうと思っている。
ただし、今の段階では幼稚園児といい勝負と言っても過言ではない。

筆者はこの図に大変驚いたと言っている。
そう彼らは現実を正しく見ることが出来ない可能性があるのだ。
そして見る力が弱い彼らは、聞く力も弱い可能性が高いと思われる。

非行少年にありがちな

“ガンをつけられた”(=見る力)
“いちゃもんをつけらた”(=聞く力)

という言動は現実を歪めて認識している為に起きている可能性があるのだ。
そして、現実を歪めて認識してしまう彼らはとても生きづらいだろう、と指摘をしている。

ここで、シンプルな疑問が出てくる。

Q: 簡単な図形を書き写せない子供が、漢字を正しく書けるだろうか。

答えは否だ。

彼らは漢字が書けない子供として字の練習を何度もさせられるかもしれないが、
本当はもっと前の段階のトレーニングが必要なのだ。

本書のタイトルにもなっているが、ケーキを正しく切れない子供が分数の仕組みを理解するだろうか。

これも答えは否だ。
彼らには分母・分子とった話ではなく、そもそも”分割”という概念がよくわかっていないのだ。

考えてみて欲しい。
初等教育の内容は反復による暗記と練習が中心だ。
多くの人にとっては当たり前だと思う前提が、実は当たり前ではない人が存在しているのだ。
これは私にとっても大きな驚きだった。

そうすると、ある前提をもとにしたルールが実は全く意味が無い可能性がある。
“あいつはむかつくけど、人を殺すと損だからやめよう”
というような損得判断がつかない人が、実はあなたの隣にいる可能性もあるのだ。
こうなると社会全体にとってのリスクになってくる。

非行少年の特長 5点セット + 1

筆者はこれまでの経験から、非行少年の特長を5+1にまとめている。

  1. 認知機能の弱さ…見たり、聞いたり、想像する力が弱い
  2. 感情統制の弱さ…感情をコントロールするのが苦手
  3. 融通の利かなさ…何でも思い付きでやってしまう。予想外のことに弱い。
  4. 不適切な自己評価…自分の問題点がわからない。自信がありすぎる、無さ過ぎる。
  5. 対人スキルの乏しさ…人とのコミュニケーションが苦手
    +1 身体的不器用さ…力加減が出来ない。体の使い方が不器用。

ここで注意したいのが、彼らにとってはそれが”弱い”とは感じられていないことである。
例えば、私は為替の動きが全くわからないけども、ある人にとっては半日先まで見えるかもしれない。
ある人にとっては一年先のトレンドまでわかるかもしれない。
起業家などにも未来を見通す力は必要だろう。
彼らからすれば”普通の人はなぜこれがわからないんだろう”という感覚があるかもしれない。

非行少年の場合、これをしたらこうなるからやめよう、のつながりが見えていないようだ。
いや、意味はわかるかもしれないが自分事として実感を持つのが難しいのかもしれない。

また、感情が私たちの想像を超えて強いことも考えられる。
ある強姦犯の少年は、女子大生を一目見ただけで顔が真っ赤になり、性衝動を抑えきれないと言っていた。
これほど強い衝動が自分に合った場合、私は自分でコントロールをできるか自信が無い。

面白い例としては、身体的な不器用さということがある。
なぜならこれは比較的目立ち、外部から見えやすいものだからだ。
例えば、ダンスが出来ないと言っても笑われないが、スキップが出来ないと言ったら笑われるだろう。

もっとレベルを落とすと、靴紐が結べない、ボタンが留められない、といった人も存在するのだ。
たいていの人は成長と共にこれらができるようになるが、紐を結ぶ、ボタンを留めるといった具体的な名前がついていない、名も無き動作が出来ない人は存在している。
例えば、片手にスポンジを持ちながら皿をひっくり返す動作が苦手、という人は、現実的には”皿洗いが出来ない人”と認識されてしまうだろう。

人を殺したい殺人犯の更生

殺人犯の更生というと、どんなことをイメージするだろうか。

被害者からの手紙。
宗教、道徳的な勉強。
グループワークでの自己分析。

筆者は彼らがそれらの意味を全くわかっていない場合があると指摘する。
例えば、ろくに漢字も読めず、日本地図すらわからないような殺人犯が被害者の感情を正しく受け止められるだろうか。
悲しいかな、現実は必ずしもそうではないようです。

人を殺してみたくて人を殺した。

そう証言するある犯人は、その気持ちはなくならないと筆者に漏らした。
もちろん表向きは反省の言葉を述べる。
ただしそれは反抗期の子供が母親に言うような”はいはい、わかったよ”と同じものなのである。

では更生施設の役割は何だろうか。
それは正しい教育である。
もっと具体的には、ブレーキのかけ方の訓練である。

私はこの考え方は非常に正しいと思う。
なぜなら、心を入れ替えた、なんて言葉はまるで信用が出来ないからである。

あるドライバーが交通事故を起こしました。
彼の”反省しました。次から絶対に事故を起こさないように注意して運転します。”という言葉より、
自動ブレーキ付きの車しか買えない免許に切り替えました。の方がまだ信用が出来るのと同じだ。

なぜ彼らを救うのか

さて、そもそもなぜ彼らを救うのか。
手間もお金も苦労もかけ、彼らを救う意味があるのだろうか。

救う意味は、ある。

彼らは現代の社会が求める基準にうまくフィット出来ない人たちです。
また、普通に働いている人も社会に生きづらさを感じている人は大勢います。
(ひょっとすると、全員かもしれません)

彼らが活き活きと活躍できる場所が与えられ、刑務所がガラガラな社会というのは、合理的なあなたでも素晴らしい社会だと思うのではないでしょうか。
*刑務所から人が一人減り、同時に納税者となれば社会にとっては大きなプラスです。

現代の日本においては、農業や漁業などの一次産業が減り、サービスなどの三次産業が増えています。
こうした変化は全員を幸せにするわけではなく、変化に適応できない人も生み出します。

そうした人を弱者として切り捨てるのではなく、全員で活躍できる社会を設計するということが偶然”彼ら”ではなく”我々”側にいる私たちの役目だと思います。

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